キスの瞬間、スイッチが入った。
この男(こいつ)を抱きたい。この男(こいつ)に抱かれたい。
噛み合ったら、もう、止まらない。
※
「ただいま」
玄関に入った瞬間、異変に気付く。フジイが迎えに出て来ない。
タイミングが合わなきゃ、こんな時もある。キッチンで手が離せない、たまたまトイレに入ってる、あるいは、まだ帰宅していない……いや、それは無い。今夜は俺の方が帰りが遅いから、あいつが家にいないはずはない。現に空気はあたたかく、居間からは紛れも無く人の居る気配がする。
それが問題だ。
ここまで漂う煙草のにおい。馴染みのないにおい。甘みのない、ヤニのきついにおい。知らないにおいだ。知らない煙草だ。このきつさ、女性が好む可能性は低い。
(家の中に、知らない男がいる。俺のいない時に)
大股で廊下を歩き、居間に通じるドアを開け放つ。
途端に知らない煙草のにおいが鼻腔を、咽を刺す。
ソファに座る人影がゆっくりと振り向いた。アヒルみたいに尖らせた唇から煙草を抜き取り、灰皿で優雅にもみ消す。
フジイ アキラは俺を見て、目尻の皴を深めてほほ笑んだ。声には出さず、口の動きだけで『おかえり』と言った。
なるほど、確かに客は居た。ただし、奴の膝の上に。
銀色のふかふかした綿菓子みたいな毛並、襟巻きみたいに長いしっぽ。たまに遊びに来る近所の飼い猫だ。丸まった体からぴくんと耳が立つ。と、思うとするりとほどけ、床に飛び降りた。
「すまん、起こしちまったか」
「んぴゃっ」
銀色の子猫は前足を伸ばして上体を伏せ、ながながと伸びをした。
「こいつが膝の上から動いてくんなくってさあ」
こきこきと首を左右に傾け、フジイが立ち上がる。身に着けたネイビーブルーのセーターには、銀色の毛がくっついていた。
「ああ」
どんだけの時間、猫を乗せてたんだ。確かにこれじゃ、動けないし、声も出せまい。
足下をやわらかな温みがすり抜ける。子猫が俺の足に体をすりよせ、一声鳴いた。
屈んで撫でる。
「ぴゃあ」
ひやりと手首に冷たい感触。ちっぽけな鼻が押しつけられた。子猫は俺の手をすり抜け、優雅に歩いて行く……ベランダに通じるガラス戸に向かって。挨拶はすんだってことらしい。
「気をつけて帰れよー」
「ぴゃあ!」
銀色子猫を送りだすと、フジイはガラス戸を閉め、カーテンを閉じた。
ネイビーブルーのセーターをゆるく着こなし、きゅっとしまった形の良い尻を包むのは黒い細身のジーンズ。仕事場では首の後ろで結んでいる髪を、今はほどいてる。きちんと整えられた顎髭は、少しずつ縁が伸び始めていた。
気取らず、飾らず、くつろいでいる。家にいる時の見慣れた姿。だからこそ、いつもと違うにおいが鼻につく。背後から近づき、かいでみる。
あぁ。やっぱりな。髪の毛にも、セーターにも、肌にもまといついている。
「よせよ、くすぐったい」
すくめられるうなじにも。こいつが自分で吸ってたんだから当然だ。だが。
「煙草」
「ん?」
「いつもとちがう」
「ああ」
フジイはセーターの胸元をひっぱり、くんっと鼻を鳴らして嗅いだ。
「やっぱにおいきついか。これ、日本の煙草なんだ。久しぶりに土産でもらったから、懐かしくってさ」
ソファの前のテーブルには、白地に銀の星を散らした箱が置かれていた。表面に印刷された注意書きは確かに日本語だ。
煙草のにおいは吸っていた時間を思い出させる。故郷にいた頃の、俺の知らないお前。
(さっきのお前は、男に抱かれる時の顔をしていた)
「ヴィヴィ?」
フジイは体をひねり、こっちを向いた。目の前にいるのはいつもと同じ顔。同じ声。眉を下げ、怪訝そうに首を傾げて俺を見あげてる。
煙草のにおいは吸っていた男を思い出させる。確かにこの場に、居たのだ。俺の知らないもう一人が。
わかってる。こいつはこんな見た目だが、実際には俺より五年長く生きてるんだ。どう足掻いたってその時間差は埋められない。増してお互い四十路(このとし)だ。初めての男じゃないってのは承知してる……ただ、口に出さないだけで。
それでも、なお、手が疼く。指先に力がこもり、関節に血管が浮く。
「おいおい何だよ、やけに甘えん坊だな」
口角がつり上がり、口元の皴がきゅっと深くなる。両肩がっちりつかまれてもその余裕か。本当に、お前って男は。
(誰に見せた? 意地も誇りも脱ぎ捨てた、あの悩ましげな無防備な顔を)
崩してやりたい。その余裕。
「っ」
がちっと歯と歯がぶつかった。
「ん、んんっ」
顔の角度をずらして押し当て、捻じ込む。歯が擦れる。もはや犬同士の噛み合いだ。もがく体をソファに押し倒す。
「うぐっ」
言い返そうとするその顎をつかまえて、無理矢理開かせる。
「うーっ」
遮二無二唇を重ね、舌を潜り込ませる。噛まれるのを覚悟していたが、拒まれなかった。
舌に伝わるだ液の味にスイッチが入った。
こいつを抱きたい。今すぐに。こいつも、俺を欲しがってる。
もう止まらない。
この男(こいつ)を抱きたい。この男(こいつ)に抱かれたい。
噛み合ったら、もう、止まらない。
※
「ただいま」
玄関に入った瞬間、異変に気付く。フジイが迎えに出て来ない。
タイミングが合わなきゃ、こんな時もある。キッチンで手が離せない、たまたまトイレに入ってる、あるいは、まだ帰宅していない……いや、それは無い。今夜は俺の方が帰りが遅いから、あいつが家にいないはずはない。現に空気はあたたかく、居間からは紛れも無く人の居る気配がする。
それが問題だ。
ここまで漂う煙草のにおい。馴染みのないにおい。甘みのない、ヤニのきついにおい。知らないにおいだ。知らない煙草だ。このきつさ、女性が好む可能性は低い。
(家の中に、知らない男がいる。俺のいない時に)
大股で廊下を歩き、居間に通じるドアを開け放つ。
途端に知らない煙草のにおいが鼻腔を、咽を刺す。
ソファに座る人影がゆっくりと振り向いた。アヒルみたいに尖らせた唇から煙草を抜き取り、灰皿で優雅にもみ消す。
フジイ アキラは俺を見て、目尻の皴を深めてほほ笑んだ。声には出さず、口の動きだけで『おかえり』と言った。
なるほど、確かに客は居た。ただし、奴の膝の上に。
銀色のふかふかした綿菓子みたいな毛並、襟巻きみたいに長いしっぽ。たまに遊びに来る近所の飼い猫だ。丸まった体からぴくんと耳が立つ。と、思うとするりとほどけ、床に飛び降りた。
「すまん、起こしちまったか」
「んぴゃっ」
銀色の子猫は前足を伸ばして上体を伏せ、ながながと伸びをした。
「こいつが膝の上から動いてくんなくってさあ」
こきこきと首を左右に傾け、フジイが立ち上がる。身に着けたネイビーブルーのセーターには、銀色の毛がくっついていた。
「ああ」
どんだけの時間、猫を乗せてたんだ。確かにこれじゃ、動けないし、声も出せまい。
足下をやわらかな温みがすり抜ける。子猫が俺の足に体をすりよせ、一声鳴いた。
屈んで撫でる。
「ぴゃあ」
ひやりと手首に冷たい感触。ちっぽけな鼻が押しつけられた。子猫は俺の手をすり抜け、優雅に歩いて行く……ベランダに通じるガラス戸に向かって。挨拶はすんだってことらしい。
「気をつけて帰れよー」
「ぴゃあ!」
銀色子猫を送りだすと、フジイはガラス戸を閉め、カーテンを閉じた。
ネイビーブルーのセーターをゆるく着こなし、きゅっとしまった形の良い尻を包むのは黒い細身のジーンズ。仕事場では首の後ろで結んでいる髪を、今はほどいてる。きちんと整えられた顎髭は、少しずつ縁が伸び始めていた。
気取らず、飾らず、くつろいでいる。家にいる時の見慣れた姿。だからこそ、いつもと違うにおいが鼻につく。背後から近づき、かいでみる。
あぁ。やっぱりな。髪の毛にも、セーターにも、肌にもまといついている。
「よせよ、くすぐったい」
すくめられるうなじにも。こいつが自分で吸ってたんだから当然だ。だが。
「煙草」
「ん?」
「いつもとちがう」
「ああ」
フジイはセーターの胸元をひっぱり、くんっと鼻を鳴らして嗅いだ。
「やっぱにおいきついか。これ、日本の煙草なんだ。久しぶりに土産でもらったから、懐かしくってさ」
ソファの前のテーブルには、白地に銀の星を散らした箱が置かれていた。表面に印刷された注意書きは確かに日本語だ。
煙草のにおいは吸っていた時間を思い出させる。故郷にいた頃の、俺の知らないお前。
(さっきのお前は、男に抱かれる時の顔をしていた)
「ヴィヴィ?」
フジイは体をひねり、こっちを向いた。目の前にいるのはいつもと同じ顔。同じ声。眉を下げ、怪訝そうに首を傾げて俺を見あげてる。
煙草のにおいは吸っていた男を思い出させる。確かにこの場に、居たのだ。俺の知らないもう一人が。
わかってる。こいつはこんな見た目だが、実際には俺より五年長く生きてるんだ。どう足掻いたってその時間差は埋められない。増してお互い四十路(このとし)だ。初めての男じゃないってのは承知してる……ただ、口に出さないだけで。
それでも、なお、手が疼く。指先に力がこもり、関節に血管が浮く。
「おいおい何だよ、やけに甘えん坊だな」
口角がつり上がり、口元の皴がきゅっと深くなる。両肩がっちりつかまれてもその余裕か。本当に、お前って男は。
(誰に見せた? 意地も誇りも脱ぎ捨てた、あの悩ましげな無防備な顔を)
崩してやりたい。その余裕。
「っ」
がちっと歯と歯がぶつかった。
「ん、んんっ」
顔の角度をずらして押し当て、捻じ込む。歯が擦れる。もはや犬同士の噛み合いだ。もがく体をソファに押し倒す。
「うぐっ」
言い返そうとするその顎をつかまえて、無理矢理開かせる。
「うーっ」
遮二無二唇を重ね、舌を潜り込ませる。噛まれるのを覚悟していたが、拒まれなかった。
舌に伝わるだ液の味にスイッチが入った。
こいつを抱きたい。今すぐに。こいつも、俺を欲しがってる。
もう止まらない。
「おい、V.Iよせって!」
冬のヴィンセントは黒くなる。黒いトレンチコートにダーク・グレーのスーツをきっちり着こなし、ネクタイは俺の選んだ明るめのえんじ色。
『これぐらいの冒険、いいだろ? 差し色ってやつだよ』
この手で彼の襟元に結んで送りだした。髪の色にも、瞳の色にも似合ってる。ほれぼれするほど男前だ。
それが、どうしたこった! コートも脱がず、靴も履いたまま伸し掛かかり、鼻息荒くしてる。
四十男の落ち着きはどこ行った。このがっつき様、まるで十代。
(やれやれ、積極的にも程があるぜ、子猫ちゃん)
首をすくめて笑みかける。どうにもこうにも、せっぱ詰まった……ってぇか、鬼気迫った空気をゆるめようと試みる。
「せめてさぁ、ベッドに行こうよ」
「No」
断固たる拒否。
(駄目だ、こいつ目がいっちまってる!)
ヴィンセントは感情が昂ぶると表情が消える。こう言う時は、何を言っても通じない。脅しても懇願してもおだてても、絶対に自分の意志を曲げない。もとより、逆らうつもりは無い。一途で、頑固で、一直線にまっすぐに。そんな彼の気質を俺自身が好いてるからこそ。
「抱かせろ、フジイ。今、ここでだ」
「はっ、上等」
口角がつり上がる。
あ、やばいな。このまんまだと墓穴を掘るってわかってんのに、止まらない。
「食ってみろよ。いつもいつも俺の下で可愛く鳴いて……うぐっ」
強引なキスで口を。分厚い舌で咽を塞がれる。骨太の手でがっちりと手首を掴まれ、押し返すこともできない。(さすが元軍人、人を組み伏せるコツってもんを知り尽くしてる)
ねばつくだ液にむせ返り、息がつまる。
「ん……うぅ……」
やばい。くらくらする。
「うー……」
うごめく舌、こすれる粘膜。骨を伝わり水音が響く。混ざりあうだ液が泡立ち、糸引き、あふれ出す。
強く出られないのは、こっちにも弱みがあるからだ。白地に散らした銀の星。懐かしいにおい、懐かしい味、久々に吸った日本の煙草。初めて抱かれた男が吸っていた。寝ころんだまま、一本もらった。シガレットキスなんてこじゃれたマネもそいつに教わり、別れた後に煙草も変えた。
何気なく口にした一本が、記憶の扉を開け放つ。
昔の男の記憶を絡めた舌を、最愛の男に貪られる。口いっぱいに広がる味に、かちりとスイッチが入った。
(多分今の俺は、抱かれたがってるんだろう。顔も、体も、肌も、それこそ髪の毛の一本、細胞の一つに至るまで)
「あっ」
耳障りな金具の音が腹に響く。強引にベルトが外されていた。
「ちょっ、待て、待て、待ってってばっヴィンセントぉっ」
引きちぎらんばかりの勢いでジッパーが降ろされ、ズボンがひっこ抜かれる。スリッパはとっくにすっ飛んでた。慌ただしく投げ捨て、もうパンツに手がかかる。
「痛ぇっ」
肌に爪が食い込むがお構いなし。ひきずり降ろされ、無造作に、ポイっと。
「ったく、がっつきすぎでしょぉっ!」
丸出しになった下半身を、セーターをひっぱって隠そうとしたら、ドスの利いた声が降ってきた。
「やめろ」
(うわぁ)
自分のベルト外しながら唸ってる。まるで獣だ。抱き合ってる時から薄々気付いてたけど、まぁ、見事に股間のご本尊さまおっ立てちゃってこの子は!
「OKOK、わかったよ」
セーターの裾から手を離すやいなや、べろんっとまくりあげられた。下に着けた発熱下着もろとも、景気良くぺろんっと。途端に肌が冷え、一気に皮をはがれた気分になった。
「……足」
「あ」
無意識に合わせていた膝が、否応なく開かれる。正面から抱き合う形で、がっちりした生き物が足の間にぐいぐいと割り入ってくる。
(ああ、それでも君は、顔を見たがるんだなあ)
「その顔だ」
「……えっ?」
「抱かれる時の顔」
「あはっ、ばれた? って、うぉいっ」
尻の肉たぶが左右に開かれる。さらけだされた穴に当たる、生肉の切っ先。ぬるついて、熱くて、雄くさい。
「おいおいっ、ちょっ、待て、待ってっ」
「待てない」
「ひ、い、ぃっ」
容赦なく先端が突き立てられた。馴らされていない上に、潤滑剤すら無い後ろを、強引にこじ開けられた。
「うー……うぅ……」
みちみちとひっぱられたケツの穴が伸び切って、薄くなって突っ張る。
「う……あっ!」
めりっと、先端が食い込む。
「あ。あ。あっ」
悲鳴を上げる歯の間に一筋、二筋、粘つく糸が垂れた。
(も、ダメだこれ以上は無理、無理、無理ーっ)
「あっ、あっ」
わかってても息を吐き、穴を開いて必死になって迎え入れる。眉間に皴寄せて、歯ぁ食いしばって、筋肉盛り上がらせて中に入ろうともがいてるガチムチの四十男が。俺の赤毛の子猫ちゃんがあんまりにいじらしくって、可愛くて。
抜けよ! ゴムつけろ! せめてローション使え! とか……言えねぇよ。なぁ。
「ひ、ぐ、ぅっ」
こみ上げる悲鳴を殺そうと、まくり上げられたセーターの裾を噛む。ウールの繊維が歯にきしむ。どうにかこれで、持ちこたえれば……ってっ!
「あがぁっ!」
全身が意志を裏切り、勝手にそっくり返る。舌が咽から押し出され、開いた目玉が今にも穴から飛び出そうだ。
(いきなりっ?)
ケツの穴がずっくんずっくん疼いてる。脈打ってる。尻肉が火照ってる。熱いと言うより、もはや痛い……すさまじい勢いで二つの体がぶつかった衝撃で。
やられた。ぶちこまれた。手加減無し、力任せに、一気に奥まで。
「あ、あ、ああぁっ」
もはや穴が開いたって感覚すらない。後ろの穴いっぱいにホームメイドの腸詰めみたいにみっちりと、ヴィヴィちゃんの肉棒が詰まってるから!
「ふ……うぅっ」
ぶち込まれたでっかい熱い塊が、動く。
腸壁をこすり、ずどんと背骨を抉って咽まで突き抜けた。逆流する塊が、ひっきりなしに腸の中を出入りする。
「ん、うぅっ」
腹の中味がそっくり引きずり出される。
「あひっ」
かと思うと凄まじい勢いでねじ込まれ、がつっとまた骨に当たる。一秒たりとも止まらない。静止してる暇がない。嵐のど真ん中にたたき込まれてぶん回される。
「お、あっ、やぁっ」
骨がめきめき音を立ててる。開かれた脚に力が入らない。やたら感覚の鋭くなった内股を、硬いごわごわした生地がこすれる。
「くっ」
(つかまらないと。どこかにつかまらないと、吹っ飛ばされる)
「ひぃっ、あ、が、ふぅっ、あ、あ、ヴィヴィ、ヴィヴィっ、あ、もうっ」
目を閉じてしがみつく。体の中をばかでっかい肉の塊が出たり入ったり、出たり入ったり。
「い、い、いぃいっ」
容赦なく揺さぶられる。その衝撃に耐えられず、指を食い込ませてひっぱった。ぐしゃりと皴になる布の手触りに意識をそらし、内側からこじ開けられる圧迫を紛らわせる。
「はーっ、はーっ、はーっ、はーっ!」
ああ。体ん中から音がする。ごっつごっつと鈍い音がする。
「あ。ふ、あ、あ、あ、あぁっ」
まぶたの裏側で火花が散ってる。
「かはっ、ん、ぐぅっ、」
燃える。燃える。腹ん中が燃える。煮えたぎってる。
「やぁあっ、ヴィヴィっ、ヴィヴィーっ! ……っくぅ、溶けるっ、溶ける、溶けちまうよぉっ」
肌も肉も骨もどろんどろんに全部溶けて、交じり合って、いやらしい声に成って咽からせり上がる。吹きこぼれる。ああ。止まらない。
「あ、あんっ、も、もうっ、堪忍してくれっ、ヴィンセントっ!」
その程度で止まるはずがない。(多分俺、今、英語話せてない)
「骨盤、抜けるっ、あ、あ、あ、砕けるぅううっ」
「目……開けろ、フジイ」
「あ」
腹に響く声が。生臭い雄の息が耳を侵し心臓を震わせる。
「俺を見ろ」
涙でぼやけた視界に彼が写った。照明を背に影になった顔の中、食い入るような眼光が脳を焼く。
「あぁ……」
ぞくぅっとした。
震えが走った。
さながら血管に流し込まれた氷の針。瞬時に突き抜け、肌が泡立つ。そのくせ、骨がとろけるほど甘い。
「あ、あ」
心臓で、逆転。灼熱の奔流に変わる。
どくん。
「ああっ!」
心臓が目一杯膨らみ、限界まで縮む。押し出された血流で全身の血管が、膨らむ。
「フジイ」
低い声。甘えた声で鳴く時も。遮二無二押さえ込んでがつがつ掘る時も。しかめっつらで怒鳴りつける時も、いつだって俺を蕩かす声。
防水加工された堅い布から手を離し、頬を撫でる。髪の毛と同じ色の無精ヒゲが、ちりちりと指に当たる。
「ヴィヴィ」
「その名前で……呼ぶなっ」
やべぇ。俺、今、地雷踏んだ。
あるいは起爆スイッチか。
暴走が始まる。いや、既に暴走してた。狂乱、騒乱、暴発、乱闘。ああ、ろくな言葉が浮かばない。
「あぐっ」
目をそらさず見つめあったまま、にらみ合ったまま。振り落とされまいとしがみつく。
「お、うぉ、あっ、あっ」
押し出される変な声が、止まらない。
「あ、来る、なんか、来るぅっ」
何だこれ。何だこの声。かすれて、媚びて、甘えて。俺の声か? まるで女の子だ! くっそ、止まれ、止まれって!
「っ、熱ぃいっ」
(止まるはずがない)
びりっと高圧電流が貫き通り、手足がつっぱる。反り返ったまんま、感電したみたいに震えてる。咽はかすれ、意味をなさない悲鳴の合間にひゅう、ひゅうと笛が鳴る。
「おあっ、あ、あああっ……!」
がっとソファに押しつけられた。目の焦点が、合わない。映像が結べない。天井が、ふっと、消えた。
「———る……——して……」
「フジイっ」
イったのか。イカれたのか。
雄なのか。雌なのか。
わかんねぇ。
「あー…………」
頭が真っ白に焼き付いて、完全に意識がふっ飛んでた。
(今、何を口走ってた? いや、いや、気にするな、多分日本語だ)
「はーっ、はーっ、はーっ……っっ」
ひと息ごとに意識が戻る。ひと吐きごとに気怠さが、気恥ずかしさに置き換わる。
顎ががくがくする。ずーっと歯を食いしばってたんだ。
何て恰好してんだ、俺。
全身ぐっしょり汗まみれ、下半身素っ裸で、靴下は履いたまんま、顎んとこまでセーターまくりあげて。
……ほんと、何て恰好してんだ、俺。
口の周りがよだれでべとべとだ。頬や目の回りのは涙か。汗か。
いつ触られたんだかさっぱり記憶にないが、胸や腰、腹、尻、脚がまんべんなくひりひりしてる。噛まれたのか、それとも爪を立てられたか、あるいは布でこすれたか?
「ったく……好き放題やってくれちゃって」
胸に突っ伏す子猫の髪に、震える指を絡める。
「色男が台無しだぜ?」
「っふっ」
弾む息が雄っぱいに当たる。思わず知らず
「ひゃっ」
変な声が、出た。
「可愛いな、フジイ」
「うるせえっ」
こづいてやりたいが、手足の関節が茹だってだるだるのびろんびろん。まるっきり力が入らねえ。
「コートぐらい脱げよ、ヴィンセント?」
「暇が無かった」
「どんだけやりたかったんだよ」
「お前のせいだ」
「………」
煙草のにおい。男の記憶。トリガーを引いたのは、俺。
「そうだな」
「……」
「どーした」
「素直すぎて、気持ち悪い」
「うるせえっ」
ぐしゃぐしゃと赤い髪をかき回してやった。
※
「……煙草、くれよ」
かすれた声でねだられる。
「いいのか、これで」
コートのポケットから箱を取り出し、さしのべる。
「君のが吸いたいんだ」
一本抜き取る指先が、まだ少し震えていた。
濡れた唇が吸い口をくわえる。その動きに誘われ、自分も一本口にしていた。
ライターを点し、煙草に火をつける。その間、フジイは煙草をくわえたまんま、ぼーっとしていた。下まぶたの細かな皴が、いつになく増えてる。光の加減か、それともさすがにこたえたか。
「……そら」
「ん、さんきゅ」
火の入った俺の煙草と、フジイの煙草が、触れ合う。
皴の寄った咽が。乱れた黒髪のはりついた首筋がうごめき、吸う。
じりじりと紙が焦げ、葉にオレンジ色の輝きが広がる。今、お前の口を。咽を。俺と同じ煙が満たしてる。こいつもそれを知っている。
「……美味いなぁ」
「パンツ」
「はい?」
「パンツぐらい、履けよ」
「うるせぇ」
口をとがらせ、ぷい、と横を向いちまった。一方でセーターの裾をひっぱり、下半身を隠してる。
恥じらう仕草が、そそる。
「ぶん投げたのは、だれだよ」
「……すまん」
俺だって、少しは日本語がわかる。
掘られてる間、フジイはずっと叫んでた。
「アイシテル アイシテル」と。
普段ならぜったい言わない。セックスしてる時も、抱き合ってる時も、キスしてる時も。
だからわかる。
あれは、こいつの、本当の気持ちだ。
「何、笑ってんだよ」
「……別に」
コートを脱ぐ間も惜しんで貪った、異国のにおいをまとうしなやかな体から掘りだした……俺だけの宝物。
(コートを脱ぐ前に/了)
名無しのマンティス
2019-05-04 18:18:54